「雨が降るのも、空が青いのも社長の責任」― “根っからの負け犬”だった会社を蘇らせた、一人の男の覚悟と哲学
「雨が降るのも、空が青いのも社長の責任」
― “根っからの負け犬”だった会社を蘇らせた、
一人の男の覚悟と哲学

企業のトップインタビューと聞けば、多くの人が輝かしい成功譚や未来への壮大なビジョンを想像するだろう。しかし、エー・アール・システム株式会社(以下、ARS)の中村恒彦社長が自らの歩みを語る時、その口から最初に出てきた言葉は、あまりにも率直で、衝撃的ですらあった。
「今だから言えることですが、私が社長に就任した当時、この会社は『根っからの負け犬』でした」。
この一言に、すべての物語の序章が凝縮されている。それは、単なる経営不振という言葉では片付けられない、組織の魂が蝕まれていた時代の記憶だ。当時の社内には、「自分たちはたかだか20人やそこらの会社だから、多少頑張ったところで大手に勝てるわけがない」という、深く根差した敗北主義が蔓延していた 。社員の心に巣食う諦めの空気は、会社の未来そのものを覆う暗雲のようだった。
問題は精神的なものだけではない。経理的な問題も山積し、会社はかなりの額の負債を抱えていた。その状況を知る周囲の友人たちは、皆一様に中村氏の決断に反対した。「この会社の経営を継ぐなんてやめろ」。それは、彼の身を案じるからこその、当然の忠告だった。
しかし、中村氏はその舵を取ることを決意する。彼には「ビジネスでの決断ってこれまで外したことがなくて」という自負があったものの、目の前にあるのは先行きが全く見えない荒波の海だった 。この絶望的な状況で彼が社員に示すことができたのは、たった一つの、しかし最も重要な姿勢だった。
「自分が全部のリスクを負う、責任を取るという態度を見せることしかできなかった」。
その言葉を裏付けるように、彼は行動で覚悟を示した。資金繰りが逼迫し、お金がない中で訴訟問題が起きた際には、弁護士を立てることさえできず、たった一人で法廷に立ったという 。 polishedなCEOのイメージとはかけ離れた、泥臭く、孤独な戦い。それは、会社の命運を文字通り一身に背負うリーダーの姿そのものだった。
この極限状態の中から、彼を象徴する一つの経営哲学が生まれる。特に会社が厳しい時期に、彼は何度も社員にこう語りかけた。
「雨が降るのも、空が青いのも社長の責任と思っていい」。
一見すると、これは過剰な自己責任論に聞こえるかもしれない。しかし、その真意は全く異なる。これは、組織に蔓延する「恐怖」をリーダーが一身に引き受けるという宣言に他ならない。「負け犬根性」が染みついた組織は、失敗を恐れる文化そのものだ。挑戦すれば、誰かのせいにされるかもしれない。責任を問われるかもしれない。その恐怖が、社員から挑戦する意欲を奪い、組織を停滞させる。
中村氏のこの言葉は、その恐怖の連鎖を断ち切るための「盾」だった。「どんな結果になろうとも、最終的な責任はすべて私が取る。だから君たちは、失敗を恐れず、目の前の仕事に集中してくれ」。このメッセージこそが、社員を心理的な束縛から解放する第一歩となった。リーダーがすべての責任という重荷を背負うことで、チームは初めて、創造のための自由な翼を得る。ARSの変革は、この静かで、しかし鋼のように強い覚悟から始まったのだ。
リーダーが一人ですべての責任を負うと決めた。しかし、それだけでは会社は変わらない。次に中村氏が直面したのは、社員一人ひとりの「誇り」をいかにして取り戻すかという、より根源的な課題だった。そのために彼が下した決断は、火の車であった当時の経営状況を考えれば、無謀としか思えないものだった。
「毒まんじゅうは絶対に食わない」。
これは、ARSを「単なる安い便利屋だとしか考えない企業には、いくらお金を払ってくれると言われようが製品を売らない」という決意の表明だ 。負債を抱え、社員が9人にまで減ったこともあるほどの厳しい時期に、目の前の売上を拒否する。常識的に考えれば、自殺行為にも等しい。
しかし、この決断の目的は短期的な利益ではなかった。その視線は、疲弊し、自信を失っていた社員たちに向けられていた。
「これは、社員に誇りを持たせるために必要なことでした」と中村氏は振り返る。「『安かろう悪かろう』と思われている会社と契約を続けることは、社員が自分たちの仕事や製品に誇りを持てなくなる悪循環を生んでしまう」。
彼の目には、社員たちの見過ごされてきた努力がはっきりと見えていた。ARSのパッケージソフトは、本来であれば100人規模で開発するような代物を、わずか3人ほどのメンバーで作り上げてきた血と汗の結晶だ。「この頑張りがあるんだから、まず社員が製品への誇りを持たないと始まらない」。その想いが、一見不合理に見える経営判断の根幹にあった。
この「毒まんじゅうを食わない」というルールは、ARSが掲げる経営理念の第一項目、「Laughter to Members 社員に笑顔を」を、単なるスローガンから生きた行動規範へと変えるための、最初の具体的な一歩だった。自分たちの価値を正当に評価してくれない相手と仕事をすることで、社員の笑顔が生まれるだろうか。答えは明白だ。社員の尊厳と誇りを、目先の売上よりも優先する。その断固たる姿勢をトップが示すことで初めて、「社員に笑顔を」という理念に血が通い始める。
この決断は、社内の士気を高めるだけでなく、実は極めて高度な対外戦略でもあった。それまでのARSは、価格だけで選ばれる安価なベンダーだったかもしれない。しかし、「便利屋」としての仕事を拒絶することは、「我々の価値は価格だけではない。我々の専門知識を尊重してくれるパートナーとしか仕事をしない」という強力なメッセージを市場に発信することに繋がる。
これにより、クライアントの質が劇的に変化する。単にコスト削減だけを求める取引相手ではなく、共に課題を解決し、未来を創造しようとする「パートナー」が集まり始める。そして、このような信頼と尊敬に基づいた関係性こそが、ARSの経営理念の第二項目である「Impression to Client 顧客に感動を」を実現するための土壌となる。顧客を「満足」させるだけでなく、その期待を超える「感動」を提供するには、まず顧客自身がこちらの価値を認めていなければ不可能だ。「毒まんじゅう」の拒絶は、社員の誇りを守る行為であると同時に、最高のサービスを提供できる環境を自ら作り出す、巧みな一手だったのである。
ARSの変革:「根っからの負け犬」からビジョン主導のイノベーターへ
特徴 | 「根っからの負け犬」時代 (中村社長の改革以前) | ビジョン主導の時代 (現在) |
企業文化 | 敗北主義。「どうせ大手には勝てない」という諦めの空気 。 | 誇りが原動力。「社員に笑顔を」を最優先する文化 。 |
社員のマインドセット | 誇りの欠如。「安かろう悪かろう」の会社という自己認識 。 | エンパワーメント。自社の製品と価値に誇りを持つ 。 |
顧客との関係 | 取引中心。生き残りのため「毒まんじゅう」も受け入れる 。 | パートナーシップ中心。「感動」を届けるため、専門性を尊重する顧客を選定 。 |
イノベーションへの姿勢 | 慎重で恐怖に基づいていた(「負け犬」文化から推察)。 | アジャイルで恐れを知らない。「誰よりも早く多く失敗した方が勝ち」。 |
リーダーシップ哲学 | (不明確だが、受動的で危機対応型だったと推察される) | プロアクティブ。「雨も空も社長の責任」という覚悟が、チームの自由を創造 。 |
誇りを取り戻し、働く環境を整えたARS。次なる変革の舞台は、事業の核である「基幹システム」そのものに向けられた。一般的に、基幹システムという言葉には「不動」というイメージがつきまとう。企業の根幹を支えるがゆえに、安定性や確実性が最優先され、変化を嫌う保守的な世界。正直に言えば、「地味なジャンル」と見なされることも少なくない。
ARS自身、創業は1991年 。MS-DOSの時代から、カタログ通販やテレビ通販の全盛期を支え、30年以上にわたってこのニッチな領域で戦い続けてきた 。これほどの長い歴史は、ややもすれば硬直化や旧態依然とした体質を生む温床にもなりかねない。
しかし、現在のARSを駆動させているのは、そうした業界の常識とは真逆の、過激とさえ言えるフィロソフィーだ。
「誰よりも早く多く失敗した方が勝ち!」。
社内で共有されるこのモットーは、基幹システムという世界の重厚長大なイメージを鮮やかに裏切る。「『失敗しないように慎重に』では決して新たなものは生まれません」と断言するように、ARSは安定よりも変化を、確実性よりも挑戦を尊ぶ。
この哲学は、単なる精神論ではない。具体的な行動原則にまで落とし込まれている。「『何度かやってダメだった』で終わるのではなく、考えられる選択肢はとりあえず全部やってみる。成功は大抵、その最後の最後に待っている」。これは、一度や二度の失敗で諦めるのではなく、執拗なまでの試行錯誤を繰り返す文化そのものだ。失敗は終わりの合図ではなく、成功に近づくための一つのデータに過ぎない。
この過激なまでの挑戦を可能にしているのが、「アジャイル型」の開発スタイルだ 。ガチガチに仕様を決めて作り込むのではなく、顧客の状況や時代の変化に合わせて「やっぱりこうしたい」という要望が出れば、すぐに対応する。この柔軟性とスピードこそが、ARSの成長の源泉だと中村氏は語る 。絶えず動き続け、常に変化し続けること 。それが、ARSが自らに課したルールなのだ。
ここで重要なのは、この「早く多く失敗する」という文化が、最近流行りのIT企業のスタイルを模倣したものではないという点だ。むしろ、それはARSが30年以上の歴史の中で、その身をもって学んできた生存戦略そのものである。彼らが成長の礎を築いた通信販売業界は、消費者のトレンド、テクノロジー、競争環境が目まぐるしく変化する、極めて不安定な世界だった 。MS-DOSからWindows、そしてクラウドへ。カタログからECサイトへ。この激動の時代を生き抜くためには、変化に対応するスピードと、失敗から学ぶ能力が不可欠だった。
つまり、「失敗した方が勝ち」というモットーは、シリコンバレーから輸入された流行りの思想ではなく、ARSのDNAに刻み込まれた、30年物の知恵の結晶なのだ。これまでに600社を超える企業に導入され、総額1500億円に及ぶ流通を支えてきた実績 の裏には、この絶え間ない試行錯誤と自己変革の歴史があった。彼らは、環境の変化よりも速く失敗し、学び、適応し続けることで、生き残ってきた。この歴史的背景が、彼らの言葉に揺るぎない説得力を与えている。

一人の男の覚悟から始まった会社の再生。社員の誇りを取り戻し、失敗を恐れない文化を築き上げた。物語はここで終わらない。ARSが見据えるのは、自社の成長の、さらにその先にある壮大な地平だ。
「私たちのパーパスは、『日本のものづくりを元気にする』ことです」。
これは、ARSが掲げる経営理念の三本目の柱、「Value to Society 社会に価値を」の具体的な表明だ。彼らの仕事は、もはや単なるシステム開発ではない。日本の産業を根底から支え、活性化させるという社会的使命を帯びている。
中村氏はこの使命を、単なる物理的なデジタル化とは捉えていない。「企業としての根底にある思考そのものを変えていくことが、我々の使命の一つです」。通販事業者が本来集中すべき商品開発やマーケティングといった「ものづくり」に専念できるよう、煩雑なバックエンド業務をシステムを通じてARSがすべて請け負う 。それは、日本企業の意識改革を促す挑戦でもある。
この壮大なビジョンは、決して夢物語ではない。それを実現するための具体的な戦略が、着々と実行に移されている。その一つが、データドリブン経営の徹底的な推進だ。「業界問わずデータドリブンでないと勝てない時代であり、これを進めることで中小企業にもチャンスが来る」。ARSは、自社のシステムを通じて顧客がデータを活用し、より賢明な意思決定を下せるよう支援することで、中小企業の競争力を高めようとしている。
もう一つの戦略は、多様性を受け入れるチーム作りだ。中村氏は国籍にとらわれず、積極的に海外から優秀な人材を採用している。「日本での就職を希望する海外のエンジニアは、日本の文化に関心が高く、情熱を持って仕事に取り組んでくれる。彼らが他の日本人社員に与えてくれる良い影響は、すでに成功と言えます」。彼は、例えば「AIに知見のあるITエンジニアを3名採用すれば、今後どのようなサービスを展開できるか」といったように、新しい才能がもたらす未来の可能性を常に構想している 。国籍という枠を超え、最高のチームで最高の価値を創造する。それが彼の信条だ。
そして、このビジョンの最終的な到達点は、驚くほどシンプルで、人間的な場所にある。
「私たちの最終的な目標は、エンドユーザーが感じている煩わしさをなくすことです」。
BtoBの、それも「地味」と言われる基幹システムの会社が、最終的に見据えているのは、システムを使う企業の先にいる、一人の生活者だ。日本の「ものづくり」企業を元気にすることで、その企業が生み出す製品やサービスが向上し、最終的にそれを受け取るエンドユーザーの体験がより良いものになる。この一貫した思想が、ARSのすべての活動を貫いている。
振り返れば、この物語は一人のリーダーの変遷の物語でもある。会社の存亡の危機に際し、「すべての責任は自分が取る」と内向きの覚悟を決めたリーダーは、やがて「社員の誇りを守る」ために外の世界と戦い始めた。そして今、彼は「日本のものづくりを元気にする」という、社会全体に向けた壮大なビジョンを語る。
会社の危機的状況を乗り越えるという、いわば生存本能に基づいた段階から、社員の幸福、顧客への感動、そして社会への貢献という、より高次の目的へと進化してきたARS。その歩みは、リーダーである中村氏自身の成長の軌跡と、見事に重なり合う。奈落の底で味わった苦闘が、誰よりも広く、遠くを見渡せる視座を彼に与えた。あの「根っからの負け犬」だった日々こそが、壮大なるビジョンを掲げる今を創り出すための、不可欠な序章だったのである。
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